鳥人!幸吉


浮田 幸吉  1757-不詳
うきた こうきち

1757年(宝暦13年)、備前の国“児島郡八浜”(現在の岡山県玉野市)で幸吉は誕生しました。7歳の時、父親が突然亡くなり、親戚の傘屋へ奉公に出されてしまいました。厳しい生活になりましたが、辛抱強く、もともと手先の器用な幸吉は、傘張りの仕事もみるみる上達しました。そんな折、時々出かる両児山(ふたごやま)では、幼なじみと会って、空をゆったりと飛ぶ鳥を眺めました。この頃から大空への夢を抱き初めていたのかもしれません。飛び方を観察し、また生け捕りにして羽の長さを計ったり、体の重さと比率を計算したり、鳥の研究に打ち込むようになりました。仕事の合間に研究した資料をもとに飛行装置(現在のグライダーのようなもの)を製作し、約1ヶ月ほどでようやく完成しました。
まず、郷里の八浜へ行き、八幡宮の境内から傾斜を走り、地面から離れました。すぐさま落下してしまいましたが、飛べることは実証されました。はやる気持ちを抑えながら岡山に戻り、城下町の京橋で再び飛ぶことに決めました。
1785年8月、いよいよ決行の日。幸吉は京橋の欄干で風を待ちました。そして橋の下から吹き上げる風に気付くと、欄干を蹴り“ふわり”と空中に舞いあがり、頭上で一回旋回し、飛行することに成功しました。これが日本で初めての飛行と言われています。そしてすぐさま落下していまいましたが、目撃した人々は、「鳥人が空から降りてきた」「白い羽をつけた天狗が空高く飛びまわった」など大騒ぎになりました。その後、「奇行をもって人を騒がせた」という理由で留置されてしまいましたが、藩主池田治政の温情により所払いとなりました。
静岡に移り住み、「備前屋幸吉」の名で備前児島の木綿を扱う店を開き、平穏な余生を送ったと伝えられています。それから100年以上が経ち、ドイツ人のオットー・リリエンタールが1891年に同じような飛行装置で、初飛行に成功していますが、この初飛行より100年以上も前に幸吉は飛行を成し遂げたと伝えられています。



オットー・リリエンタール(ドイツ) 1848-1896

飛行実験のパイオニアとなったドイツの技術者で飛行研究家。1881年からグライダーを製作して飛行実験を繰り返し、その総数2000回。そのグライダーは体重を移動してバランスを保つ方法でコントロールしていました。リリエンタールは翼のキャンバーの効果を立証したことでも有名で、1886年には動力機関による飛行も計画されていましたが、その前にグライダーで墜死してしまいました。ライト兄弟にもっとも影響を与えたのもリリエンタールであることは間違いないと思われます。リリエンタールの墜死事故のニュースがライト兄弟を刺激し、飛行機の開発に踏み切らせたと言われています。またライト兄弟は、フライヤーの製作、実験にあたって、リリエンタールの飛行データを非常に参考にしており、リリエンタールの存在がなければ、ライト兄弟はなかったのではないかと思われます。




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